◆ Ⅰ - ⅰ ◆
ふと前触れもなく非日常を求めることがある。
手段は……まあ、なんだっていい。漫画に小説、アニメにゲーム、映画にドラマに音楽に、果ては妄想空想と――非日常を求める媒体・手段には正直こと欠くことのない世の中だ。楽しみ方は人の数だけ存在することだろう。
そんな中、自分が一番好んで選んでいるのは“旅”という手段であったりする。
“旅”と言えば聞こえはいいかもしれないが、本当に何の変哲もない“ただの旅”だ。
大荷物抱えて、地図を広げて、七つの海を駆け巡るやら、新大陸を大発見やら、謎の遺跡を大調査やらの、もはや冒険と呼ぶに相応しいような壮大なものでは決してない。むしろ片足を日常に突っ込んだまま非日常を体験しようという、大変に手軽なものである。
使用するものは、少々の時間と少々の金銭。
それから、公共交通機関である近場の路線。
適当に目についた長い路線の切符を買って、適当な車両の適当な席に座る。ただし窓際である方が、どちらかというと理想的である。所持品の中には音楽プレイヤーや本などがあると時間を潰すのに丁度いいだろう。
あとは電車が終着駅まで着くのを待てばいい。
それっぽい音楽を聴きつつ窓の外に流れる景色の変化を楽しみながら、暇になれば本を読み、また音楽を聴いて……そうして到着した先の町に少しばかり滞在する。正直を言えば、ただの国内旅行である。
しかし、だけれど、中々どうして自分の知らない場所・建物・人々というものは、ある種の非日常そのものであったりするのだ。確かに理想を言えば、空に翼竜の一匹でも飛んでいて欲しくはある。しかし、そんなことが無理であるということは百も承知だ。
だからこそ。
“だからこそ”だ。
“普段”から少しだけ離れることのできる“旅”が……例えそれが国内旅行であれ“少しだけの非日常”を味わうのには大変に手軽で、かつ最適なのではないか……と、今まさにそんな“旅”の真っ最中な自分は思うのだ。
……のだがしかし……
現状――二両編成の車両内。乗客は自分が一人で、なおかつ外は晴天の中の夕暮れ時、加えてそれっぽい音楽を再生している……という、なんとも夢心地な空間のまっただ中にいる身では、主義主張がなんのその『手段なんて、もうこの際なんだっていいんだよ、楽しければ』と、思考なんてのはほぼほぼ放棄されている。
まあ実際、手段なんてのは人それぞれなのだから、なんだっていいのだが……正直――思考の放棄だけは状況的によくはなかった。
夕暮れ時の電車内。乗客は自分一人。……言ってしまえば、さほど珍しい状況ではないと思う。乗客が自分だけになることはままあるし、車内での眠気なんてのはおよその人間が身に覚えのある現象だ。そのまま寝入ってしまっても、寝過ごして『ああ、しまったなあ』と後悔する程度の話でしかない。
しかし、けれど、幾度となくしてきた“旅”の最中にそういった状況で眠ったなんてことは実のところ一度と経験したことは、ない。そういった体質なのか、普段から適度に仮眠が取れているのかなんてのは知らないが、とにもかくにも、ない。『いつも起こらないことが起きるのは、何かの前触れだ』
なんて言うことがある。例えば、その微量な“もの”の蓄積で世界が成り立っているのならば、例えばその微量な“もの”が世界に日々変革を起こしているのだとしたら、例えばその微量な“もの”で大きく何かが変わるのだとすれば、存外“非日常”と言うやつへは簡単に足を踏み入れられるのではないのだろうか。
……なんて、そんな簡単なことはないのだろうけれど。
少なくとも、そう思わなければやっていられない程度には、その眠気はあまりにも自然で、意識の方なんていつ眠ったのかさえ覚えていないほどいつの間にか深い眠りへと落ちていて……あるいは目が覚めた時に少しでも大げさに“普通ではない”とか思えていたなら、到着した終着駅の違和感だとか、駅員の人数だとか、時間経過の不自然さだとか、その他諸々のことに気付けていたのかもしれないのだが……
まあ、どうしようもない。
この上なくどうしようもなかった。
どこで何が起きたのかも分からない。
どこから“それ”が始まっていたのかのかも分からない。
全く見当がつかないほどのいつの間にかに“そこ”へと足を踏み入れていた。
“日常”ではない“非日常”――“ここ”ではない“どこか”。
『旅』というものを始めたのは“それ”を求めてのことだった。本当に行けるだなんて思いもしなかったけれど、気持ちは“それ”を確かに求めいて、どこかしらには『本当に行けたらいいのになあ』なんて想いもあって……あるいは、そんな気持ちがきっかけと言えば、きっかけだったのかもしれない。
『行けたらいいな』とどれほど思ったか『行けるわけがない』とどれだけ諦めたか……数なんてとうに知らないけれど、思っていたんだ。ずっと、たくさん、何度となく、それこそ何かに、誰かに、ばれてしまってもおかしくないくらいには……オレは『この世界』に、恋い焦がれていた。
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