ⅩⅩ - 人皆旅人

◇ Ⅹ - ⅲ ◇ Ⅹ ◇

「まだ始まったばかりなんだから、へこたれるなよ……?」

 ――――『逸脱者(イレギュラー)』

 その声に、オレは目を見開いて。
 次に目の前で起きた出来事には、言葉を失った。

 オレの下にいる“オレ”の体が揺らいで、絵の具が溶けるみたいに、頭の方から、じわじわと、色が、形が変わっていく。

 黒くて短い髪は、茶に光るこげ茶色の長髪に。
 少しだけ焼けた肌は、赤みを帯びたピンク色に。
 オレと同じ唇は、可愛らしい真っ赤なモノに。
 並中の男子学生のブレザーは、女子が着る物のそれになる。
 そして体格も、オレのよりも幾分か小さい華奢なそれになった。


 オレの心臓が、一つ、脈を打つ。


 オレの下で、並中女子学生に姿を変えて笑っている“偽者のオレ”。
 それを馬乗りになって組み伏せている“本当のオレ”。
 そして、もう間近まで迫った彼等の声。


 ――――やばい。


 どんどん、どんどん脈が速くなる。
 状況を把握すれば把握するほど、オレの絶望はどんどん膨れ上がった。

 聞こえてくるのは、自分の煩い心音と、みんなの足音。
 目に入るのは、オレの下で微笑む知らない女子。

 そして衣を裂く様な――――

「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 オレの下にいる、ソイツの悲鳴。

「なんだっ!?」
「こっちからっす先輩!」
「すぐそこじゃねぇか!!」

 オレが組み伏せるソイツは、悲痛な叫び声を上げながら、笑みを浮かべている。背後にある鉄扉からは、上履きのゴムが廊下をこすれる音。逃げれば良いのに、体が動かない。逃げたら本当に、全てが終わってしまいそうで。でも、その選択肢を選ばなくても、オレの何かは壊れてしまうはずで。

 背後で砂が散る音が聞こえた時には、オレの思考回路は完全に停止していた。オレの下にいるソイツが、最後に軽く微笑んで、起き上がりながらにオレを横に押しやる。廃材の上に、捨てられる様にして尻餅を付いたオレの目には、否応無く周りの景色が飛び込んでくる。

 オレには無い、スカートの中から伸びる女の子特有の白い肌の細い足。
 それが駆け寄った、四組の人間の足。
 それからオレを見る、見知った人間の、顔。

「……んだよ……これ……っ」

 ごっ君が声を震わせながら言葉を吐き出す。
 その合間にも絶えず聞こえる“ヤツ”の叫び声。

「お願い助けて! 襲われそうになって! この人、強姦事件の犯人なんでしょう!? どうしてまだここにいるの!? 早く捕まえてよ!!」
「襲われ……って……ど……いう事だよっ」

 山さんの惑う声が聞こえる。
 ヤツに縋られて、オレがこんな事して、信じられないって顔だ。

「……こんな……なあ時……嘘だよね? ウソって言ってくれよっ」 「何か言え白井! これは何かの冗談なのだろう!? お前がこんな事をする訳がない! オレが目を付けたお前がこんな事をするはずがない!」 「……まさか……マジで……なんて……言わねぇよな?」

 ツナの声が泣きそうだ。
 了兄さんの声が遠い。
 ごっ君の声が怖い。

 目が怖い。
 肩が震える。
 口が開かない。
 言わなきゃいけないのに。
 否定しなきゃいけないのに。
 声が出ない。

「……な……んで、何も言わねぇんだよっ」

 ごっ君の声のトーンが、少しだけ低くなった。
 顔を俯かせて、教室から出て行った時と同じで前髪が表情を隠す。

 ……そう言えばオレ、みんなと仲直りする方法を考える為に教室出たんだよな。参ったな、なんだこれ、全然やりたい事と逆になってんじゃないか。て言うか、見事にはめられて、馬鹿じゃんかオレ……

 自分の状況をどう見直してみても、言い訳らしい言い訳すら思いつかない。いやそもそも、オレは何も悪い事なんてしてないんだから、言い訳をする必要なんてないじゃないか。そう……そうだ、オレは何も悪くない、だから堂々と、やっていない、と言えばいいんだ。

 だからオレは口を開いた。
 この現状を否定する為に。
 みんなに信じて貰う為に。
 只それだけの為に、口を開いただけなんだよ、オレは。

「き……聞いてくれ……オレじゃないんだ、これはソイツに――――」

 ――――『ソイツに嵌められて』

 紛れも無い真実。オレはそれを言おうとした。冷静じゃない頭で考えた結果の言葉。でもオレの切実な言葉は、最後まで言う事など出来ずに、途中で遮られてしまったなった。今朝、こんなオレの事を『信じてくれる』と言った、その人の声に……

「言い訳か……?」

 その人――山本武の低い声に、その場の全員が体を強張らせた。

「……この状況で言い訳かよ」

 表情が良く見えない。
 オレの視界を角材が遮っている所為だ。

「……今朝のオレ、面白かっただろうなっ。『信じる』とか、言っちゃってさ……内心笑ってたんじゃねーのか……?」
「ちがっ!」
「何が違ーんだよっ!!」

 角材を退けて、廃材の上から立ち上がりながらに言えば、今まで聞いた事がない、怒気を含んだ彼の声が降って来た。泣きそうな、怒っているような色の眼が、オレの方へと向けられている。

「時は……白井はそんな事しねーって、マジで思ってたのによっ!!」
「おれっ!」
「もう何も言うなよ……っ! もうすぐヒバリも来んだろ……? さっさと自首したらどうだ……? もうみんなに迷惑かけんなよ……」

 自嘲気味に笑いながら、オレを拒絶する言葉を吐いていく、その人。

 どうしたら良いのか、本当に分からない。
 オレはやってなくて、でも、この現状じゃそんなのただの戯言だ。

 息が苦しい。
 胸が痛い。
 喉が熱い。
 目が――――





 オレの眼に、山さんの腕に縋りつくヤツの微笑みが映った。

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