ⅩⅩⅥ - 人皆旅人

◇ Ⅵ - ⅶ ◇ ⅩⅩ ◇

「すまないね時ちゃん」


 泣きがらに暴れるオレの元に現れた、初老の男性。

 スーツと言うには上品な仕立ての服を着て、帽子と言うには、当時のオレには珍しい形の帽子。小さな丸の眼鏡を掛けて、泣きボクロと、顎に蓄えた白髭が印象的な人。

 突然、知らない人に名前を呼ばれた事で、泣いていたオレは反射的にそちらへと視線を向けた。そして、眼が合った優しげな黒い瞳に、涙が止まった。それから、言い放たれた、悲しい涙ではない、嬉しい涙を流させた言葉と、物。


「わし名前は、時田幸蔵(ときたこうぞう)と言うんだがね……聞いた事あるかい?」
「……父さんの……友達」
「そう、トシとは長い付き合いの時計屋の爺さんじゃ」


 自己紹介をしたお爺さんは、目線をオレに合わせる様に身を屈めて、今オレが一番知りたい事柄を話してくれた。


「それでな、時ちゃん。家がなくなっている理由はな、時ちゃんのお父さんとお母さんとな、時ちゃんの為にした大事な約束じゃからなんじゃよ」
「…………?」
「……二人共もう歳じゃったから、もしもの時に時ちゃんを残すのがとても不安じゃったんよ。だからの、お爺ちゃんは二人と約束したんじゃ」


 ――――もしもの時には、家の全て、家具の全て。家にある金に換えられそうな物は全て売り払って、少しでも良い、時が生きる為の糧にしてくれ。それから……きっと時はその行為を止めさせるだろうと思う。親馬鹿かもしれんが、それぐらいは愛されている自身がオレもコイツもある。だから幸蔵、どうか時には内密に、悲しませてしまうかも知れないが、どうか、家が無くなるその時までは、少しでも、悲しみが減らせるよう、内密に事を運んでくれ――――


「…………それマジ?」
「……哲朗君だね? 勿論、本当じゃよ」
「…………で、もっ」
「時?」
「でもっ、なんもっ、とうさんと、かあさんの……なんもっ!」


 何も残っていないじゃないか。


 父さんと母さんがいた証が。オレと過ごしたその時間を記憶する物が。万に一つにオレが父さんと母さんを忘れたらどうする。忘れないなんて保障は何処にも無いのに。どうして紙切れの一つでも残してくれなかったんだ。どうして手紙の一つぐらい残してくれなかったんだ。

 酷く身勝手な想いだ。

 二人はオレの事を想って行動してくれたのに、オレは二人の気持ちなんて考えもしなかった、考える余裕何てなかった。けど、それでも、親子の想いは不器用にも何時か交差して、今確かに、オレはその両親の想いを、父の友人の助けもあって半分くらいは理解出来ている。


「思い出……だね。それなら心配ないよ」


 何故? オレがそう思う前にお爺さんは早々に口を動かしていた。


『独りじゃない、時は独りじゃないよ』


 たった一言。
 たったそれだけ。

 自分達の子供に残した言葉がたったそれだけなのか?

 そんな事を思って、オレはまた泣きそうになった。でもよくよく考えると、ウチの両親はそんなものだった。何かしら、大事な事をオレへと伝える際に使う単語は、一言二言。子供相手にそんな少ない言葉でいいのか? なんて思いもしたが。大丈夫。オレは確かに二人の言葉の多くを記憶している。ただそれだけで、大丈夫だと言い切れる。

 それに――――


「それから、コレなんじゃが…………しまった、ちと大きいか」


 まぁ、成長するから大丈夫かの。そう言いながらにオレの目の前へと差し出されたのは、皺の多い手の平に乗った、確かにオレの腕には大きすぎる腕時計――――

 こげ茶色のベルトで、金縁の丸い文字盤。その時計の文字盤には、二つの小さな、オレンジ色の硝子が埋め込まれていて、その時聞かされたソレは、両親の欠片なのだ……と、何か難しい事だった気がするが。

 どうと言う事は無い。

 例え子供には分からない内容でも、その輝くソレが、両親との繋がりなのだと言う事は、幼いオレにもしっかりと理解出来た。そして目から零れたモノの宿す感情が、先程とは違う、心温かなモノだという事も。

 幼いからこそ、良く、理解出来た――――

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