◇ Ⅱ - ⅱ ◇
深く、そして長く眠っていたような感覚があった。
けれど時間は思いのほか経過していなかったようで、最後に見た空全体を染めていた橙色はまだ色濃く車窓の外を染め抜いている。ただ、一歩、車両を降りさえすれば星の一つでも見えるかもしれない様相は見て取れたので、およらく夜は近いのだろうと思う。「おはよう」
寝こけていたところに揺れを感じ、目を開けてみればお爺さんが立っていた。はっきりしない頭で考えて数秒――自分のいる場所やいる場所に至るまでの行動、そして車窓の外に広がる景色とお爺さんの格好――よく見る駅員の制服を着ている――とを、頭の中でうまいこと組み合わせて、ようやっと状況を理解。
「を……あの……どうもすみません」
「いやいや、気にせんでいいよ」
「すみません、ほんと、普段こんなことないのに……」
「そうかい? 疲れとったのかもしれんね。よう眠っとったから。もう少し寝かせといてあげようか思ったんだけどもね。でもほら、終点だから、そうもいかんからね。わしが上に怒られちゃう」
「あはは……」
立ち上がりながらに左腕の腕時計に目をやれば、短針が五と六の間にいる。電車に乗車したのが昼過ぎなので、各駅停車であったことを考えれば早い方だろう。公園での野宿を覚悟していたので正直助かった。
…………ん、いや、待てよ。
宿を取れないような時間に着くと思ったから野宿を覚悟したはずなのに、どうしてこんなに早く着いたんだろうか。そもそも日本の鉄道会社が大幅に遅れるのは元より、大幅に早く着くような運航をするわけがないだろう。
……何かがおかしい……ような気がする。
「……どうかしたかね?」
「え……ああ、いいえ、なんでもないです。まだ頭が冴えなくて」
「そうかい。何だか小難しい顔をしていたから……ああ、そうだ。いいものがある。それをあげようね。ついておいで」
そう言って歩いていく駅員さんのあとについて車外へと出る。作られて間もないのだろう真新しい内装のそこは、しかしどこか昔を思わせる装いで統一されている。多分に年配の方などが来れば『懐かしい』などと口を揃えて顔を綻ばせるのだろうことが予想できる駅だった。
「綺麗な駅ですね。ノスタルジーっていうか……改装でもされたんですか?」
「うんそう。ちょっと気分転換にね」
……まあいいか、たぶん管理会社が左団扇なんだろう。
「さて、ええと…………ああ、あったあった。はいどうぞ。甘いものは頭に効くよね」
改札横にある駅員室に入って行った駅員さんが、よくあるサイズの飲料缶を手に振り返る。ラベルには桃の絵が描かれているので、桃のジュースなのだろうことが分かった。
「ありがとうございます。でもいいんですか? 他の人が飲むとか……」
「ん? ああ、大丈夫大丈夫。まだたくさんあるから」
「あ、そうだ駅員さん、切符を切ってもらえますか?」
「切符を切るの?」
「ええ、はい。記念に持って帰りたくて……」
持ち帰るのは“旅”に出た時のものだけで、アルバムなんかに写真と一緒にまとめるとなかなかの思い出になる。もちろんただの国内旅行の思い出でしかないのだけど、観光地化された場所を観光マップ片手にうろついて得る思い出とはだいぶ違うので思い出深さは比べものにならない。
……なんて、そんなことをわざわざ説明する必要は、まあ、ほぼ、ない。
駅員さんと言うのは色んなお客さんの相手をするわけで、切符を持ち帰る客くらいに首を傾げたりはしない。なので今、目の前にいる駅員さんも特に何を聞くでもなく『はい、いいよ』と可の返事で答えてくれた。「ありがとうございます。ええと、これなんですけ――――いっつ!」
突然、右手首へと痛みが走る。駅員さんに渡すべく胸ポケットに入れておいた切符を取り出したところへ、いきなりのことだった。別段、変に手首を曲げたとか、金具が変に当たったとか、そういったことが起きたわけはない。
本当に、突然のことだ。
あるいはもともと手首を痛めていたのかもしれないけれど、間もなくして、走った痛みはまるでなかったように消えていたので、おそらくそういうわけでもないのだろう。
(……突発性的な腱鞘炎かな?)
「大丈夫?」
「え……ああ、はい、すみません、なんでもないです」
「そう? じゃあ、はいこれ、どうぞ」
「あ、や、どうもありがとうございます」
「いやいや、わしの仕事だしね。ところで――」
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