◇ Ⅷ - ⅲ ◇ ⅩⅩⅩ ◇
体はもう、ほとんど動かなかった。
全身に刻み込まれた無数の切り傷から血が流れ出て、貧血を起こしているんだろう。ていうか、貧血で済んでる状態なのかこれは。生きているのが不思議なほど寒いし、ふらふらするし、血溜りだし……実はもう死んでいたりして。
(いやいや、そんなわけがない)
そんな『逃げ』を考えていい訳がない。
眼前で舞っている、二人の人間を視界に捉える。
厳密に言うとは片方は“人間”ではない、人間の“姿形”をしているだけの“別物”だ。全身が黒色で統一されている妖艶な女性の姿をしたソイツは、艶やかな黒革の外套をひるがえしながら、人間ではできないような動きで、まさに空中を“舞って”いる。
時おり、黒色の中で唯一色の付いた赤い瞳が煌めいて見えるのは、ソイツの攻撃体制らしい。光った次の瞬間には、その眼が見つめる先へと幾何学模様の、硝子のような、光のような何かが、空中に走っては、ソイツの敵とする人へと、無情な赤い閃光の雨を降らせていた。
(オレじゃあ、あれ全部浴びてるなあ……)
そんな事を考えながら、その攻撃を受けるソイツの『敵方』――オレにとっては『味方』の少年を、ぼんやりとする視界で追いかける。
灰色の短髪に、白い拳。
絶え間もなく襲ってくる赤い閃光の中を、右へ左へ、前へ後ろへ、しゃがんでは跳ねて、次々に紙一重でかわす様は、素人目に見ても、もう見事としか言いようがない。時たま、天井から漏れている月の光を反射して、髪と同じ灰色の眼が残像を残す。それがなんだか、妙な感じだ。
「――――覚悟!」
「当たらないよ」
もう何度目かになる、兄さんの拳が振り下ろされた。
でも空中へと逃げるソイツは、悠々とかわす。
眉間に皺を寄せる兄さんとは対照的に、ソイツの顔からは、誰が見ても分かるような、色の濃い歓喜の表情が見て取れる。今日のヤツは、やっぱり何処か人間臭い。
「くそ……っ!」
「ははは。悔しがる事はない。君たちでは勝てないのが道理だ」
「――――黙れっ!!」
また、一振り。
そして返しの、一閃。
了兄さんの体にまた傷が増える。
実のところ、了兄さんの攻撃は今のところ一つと当たっていなかったりする。そもそも相手が、人間以上、宇宙レベルと言ってもいいような存在なのだから、超人的な兄さんの拳といえど、超人以上の相手に当てるのは中々どうして難しいんだろう。アイツが言ったとおり『勝てない』のかもしれない。
でも……なんでだろうか。
特に不安はない。
彼が漫画の中の登場人物だからなのか、それとも単に強さが信じられるからなのか、もしかしたら、漫画の中の強い人間が、今オレのお目の前に確かに存在しているからなのかもしれない。
いや、それとももっと単純な理由だろうか。
例えば、オレの後ろにいる存在が大きく関係している、とか。
さっきから、物音一つとしない、扉一枚を挟んだ空間。
少女二人がいる。一人は了兄さんの妹である、笹川京子ちゃん。
きっと心配しているに違いない。二人は仲のいい兄弟だから。何よりも『絆』とやらが、なんだかとても深いように思う。家族だからとかそういう、オレの世界での『常識的』な話じゃない。もっと、強い、想いだ。
……ああ、そうだ。
『想い』だ。
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