◆ Ⅲ - ⅱ ◆
気が付いたのは、既に住宅地の中ほどにまで足を踏み入れてからだった。
「――あ、宿屋」
駅をあとにして向かうべきだったのは、住宅地ではなく宿探しのはずだった。
しかし、どういうわけか現在地は住宅地のど真ん中で、しかも宿のことに気がついたのは住宅地のおそらく中ほどにまで入り込んでしまってからという……無意識に民宿を探して……という可能性もなくはなかったけれど、記憶する限りそんな情報を持ってはいないので、もちろん違うだろう。
『だったらどうしてこんな所に?』
――と考えはするが、はたして答えは出ないので、ともかく、と意識は宿の方へと向けざるを得ない。無論、向けたからと言って宿がぽっと出てくるわけではないのだけれど、向けていた方がこのよく分からない状況から簡単に目を逸らせるだろう、と思ってのことだった。
だったのだが――意識を宿に向けすぎるのは良くなかった。
「――――ぐぴゃっ!」
この歳で夢遊病とかいやだなー……と“自分の知らない行動をしている自分”なんていう現実から目を逸らしつつ踵を返せば、予想だにしていなかった感触が脚にあり、次いで形容しがたい声が聞こえたものだから、驚きながらもおよそ反射的に足元へと視線を向けていた。
そうして目に飛び込んでくる、黒いもじゃもじゃ。
はっきり言おう、とても困惑した。何せ、黒いもじゃもじゃだ。大きめのスイカくらいはあるだろう黒もじゃもじゃが、時折短い呻き声を上げながら自分の足元でうごうごとうごめいているのだ。困惑したし恐怖もした。
しかし、よくよく目を凝らして見てみれば、徐々に困惑は罪悪感に、恐怖はまた別の戦慄にすげ変わる。せめて本当に困惑、あるいは恐怖する別の生物であったなら、こんな気持ちにならずに済んだのかもしれないけれど――怖いけど――目の前の事態を目にしてしまってはそんな逃げを考える暇すらもなくなる。
「う……うえ……っ」
「う……うぐ……っ」
眼下で一歩、踏み出されている大して長くはない、脚。そのすぐ前で尻もちを着いている、黒いもじゃもじゃ……もといアフロヘアの子供。……いや訂正だ。“今にも泣きそうな”が付くアフロヘアの子供だ。
なぜ子供が泣きそうなのか、なんて、言うまでもなく大して長くはないこの脚で蹴っ飛ばしてしまったのが原因だ。もちろん、わざとではなのだけれど、誰が悪いのかと言えば蹴っ飛ばした脚を持つオレが悪いのだから、責任逃れはまず無理だ。
ならば何をすべきか。
それは当然、謝罪だろう。
「ご、ごめんなっ。大丈夫っ? よそ見しちゃってたんだっ」
泣きそうな子供――男の子なようだ――の様子に、ひとまず目線――しゃがんでも頭の位置はだいぶ低い――を合わせて、まずすべき謝罪を口にした。しかし謝罪したところで痛みがどこかへ行くわけでもなく――大人の足に蹴られたのだから当然だろうが――子供の目には見る見る内に涙が溜まり溢れ出している。
「ごごご、ごめんねっ!」
「が……が、ま、ん……!」
「お、おお、そうか! 強い子だな! 凄いぞ!」
「が……が、ま……」
「お……ええとっ」
子供の台詞に強い子なのかと少し安心しかけるが、違うそうじゃない。子供というのは強がりなだけなのだ。そしてこの子は強くあろうとしているのだけれど、いかんせん子供だから涙腺に強がりが負けてしまうのだ。
だとするならば、ここは大人が手助けしてしかるべきだろう!
それに、そもそもからして責任はこちらにあるのだから謝罪だけでなく、何か……なんだろう……ともかく、なんかすべきだろう。すぐに思いつきはしないけれど、ともかく何かしなくてはいけない気がするのだ。
しかしどうしようか、そうは思えど打開すべき手段がさっぱり思いつかない。
せめて子供が喜ぶような何かを持っていれば良かったのだけれど、いかんせんこちとら成人してしまっている身だ。子供――しかも泣きそうな――に効果のありそうな物なんて持ち合わせてはいない。
――とは言え、泣いている子供を放っておくわけにもいかないので、とりあえず半ば自棄になりながら肩掛け鞄を漁ってみる。まず目についたのは、果物のラベルが貼られた飲料缶だったけれど、既に飲み終えてしまっていたので役には立たない。ならばと更に漁るが、携帯音楽機器に子供向けのソフトがない携帯ゲーム機、同じく子供向けではない漫画本に文庫本、タオル、デジタルカメラ、ペットボトルにおにぎりのフィルターが入ったビニール袋……
……と、そこでようやくいい物が目についた。
「ほ、ほ〜うら見てごら〜ん! なんとこんなところに飴の入った袋があるぞ〜!」
「……う……あ、め?」
我ながらもう少し言いようがあったろうが、焦りとか罪悪感とかがない交ぜになってどうにもこうにもならなかった。それに、結果として子供の“泣く”という感情が飴で緩和されたのだから、この際、切り出し方なんて重要ではないのだ。
でも、近くに人がいなくて良かったとは本気で思う。
「ぐず……くれるの?」
「うんうんあげるあげる。好きなのどうぞ。だから泣かないで、あと、蹴ってごめんね」
「ん〜……んっとね〜……」
なお子供の顔には涙と鼻水の残りが見て取れるが、後続が出てくる様子はないのでどうやら泣き止ませることには成功したようだ。しかし飴を貰えるということを理解しただろう子供は、なぜだか何やらを考え始めてしまった。
『もしかしてどこか痛むのだろうか?』と、そんなことを思い心配するが……
なるほど、この子供、中々大変によく状況を理解できているらしい。
「あのね〜、あめぜんぶくれたら、ランボさんゆるしてあげてもいいのよ!」
おそらくこの子供は、この状況下でいかに自分が飴を得られるか考えていたのだろう。
そうして出した答えが『持ってるもん全部寄越しやがれ』……って、この子供怖い。
中々にたくましい考えを持つ子供に少々身を引くが、しかし、注意が散漫し小さな子供を蹴っ飛ばしてしまった成人畜生を飴の一袋で許してくれるというのは、考えようによっては立派な男気とも取れなくはない。
それに、やはり、悪いのは“蹴っ飛ばした”というこちらであるのだから、飴の一袋くらいまるっと差し出してしかるべきだろう……貴重な糖分と渋っている場合ではない。
「ね、全部あげたらほんとに許してくる?」
「うん、ゆるすよ! ……けっぱんじょーいるの?」
「え、いや、だいじょうぶかな……じゃあ、はい、これね」
『血判状』とかいう物々しい単語に再度驚きつつ、やはり許してくれるという子供へ飴の入った――子供には少々大きいだろう――袋を手渡す。既に開封済みでいくらか減っているだろうけれど、それも数個でしかないので小さな子供には十分な量の小袋が入っているはずだ。
案の定、中を覗き見た子供が、たくさん入っていた飴が嬉しかったのだろう、まだ乾ききっていない涙やらでぐちゃぐちゃの顔を満足げに綻ばせている。その表情にほっとしつつ眺めていれば、一つ、飴の小袋を手に取った子供が、どうしてか、その手をこちらへと差し出してきた。
「あけて」
「……ああ、うん、はいはい」
一瞬くれるのかと思ったけれど、なるほど、まだ小袋を上手く開けられないらしい。
差し出された紫色の小袋を裂きながらに「ぶどう味が好きなのか?」と問うと、笑みをより深くさせて首を大きく縦に振る子供。そんな姿にこちらの顔もついつい綻んで、先ほどまでの罪悪感もだんだんと薄らいでいく。
ああ、良かった……と、そう胸中ひとりごちながら、飴玉を口の中で転がしている子供の様子を、安堵したこともあり、ひたすら意味もなく眺めていたら、ふと、あることに思い至った。
「んー! これ口の中がしゅわしゅわするもんね!」
「ん? ああ、炭酸系は初めてか? それグレープサイダー味なんだよ」
ころころと表情を変えて何やら嬉しそうな子供へとそんなことを答えつつ、思う。
『この子供“ランボ”にとてもよく似ているな』
そう思ったことに、もちろん深い意味なんてない。
ただ単純に、反射的に、そう“思った”だけだった。
「ランボさんは〜、しゅわしゅわを食べて〜、大人になったんだよ〜」
子供らしい発想でどや顔をしてくる子供は、一人称を使わず名前で自身を示している。
そのことで“思った”だけのそれへと、ほんの少しだけ疑問が生まれてしまった。
『これは“ランボ”のコスプレなのだろうか?』と……
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